五軒茶屋

長文を書きたいときに書きます

拝啓、親知らずへ

これを何かしらの転換期としたい。

 

親知らずを抜きました。理由は「金が貯まったから」「マスクで口元を隠せるうちに抜いておきたかった」と色々述べてはいます。

結局のところコンプレックスを解消することで自分を変えたかったに他ならないと思います。

で、なぜ抜歯かというと、手頃にできる(努力がいらない)ためで、そんな出不精が変われるのか。いささか疑問ではあります。

春休み1日め

就活イベントで話に困った学生がOBに聞く「え?それ会社選びに関係なくね?」て質問第1位

 

「残りの学生生活何をして過ごせばいいですか?」

 

学生生活はフットサルサークルで毎週飲み会で学生恋愛の末結婚してそうなキャピキャピ人事部のアンサーはたいがい

 

「めいいっぱい遊んでください」

 

 

は~~~~~(クソデカため息)。は?

 

というわけで春休み突入です。

思い返せばお盆休みもほぼ返上し研究室やバイトに通い続けたわけでバコッとバカデカい休みが入ってきたのはかれこれ学部4回の夏休み以来です。

上述のキャピキャピ人事部のアドバイスもあながち嘘ではなく、こんな長い休みを浪費のはもったいないに違いない。ありがとう。(卒業は決まっていません)

 

というわけでせっかく手に入れた長期休みなので、毎日の記録を取りたい思い日記をつけることにしました。

 

 

 

だけどそんなことも笑止 一度たりとて転ばないで 八回おきちゃえ!
(はーいそしてまた日曜日!)

就職活動

なんとか、希望どおりにはなった。長かった...

 

理系となるとこの時期には就職活動にケリをつけた人も多く、実際のところ研究室の中でこの時期にまで進路を決めかねていたのは僕しかいなかった。

諸事情もあってこの時期まで延びに延びたけど、運だけは良かったのか何社ほどご縁を頂いたこともあり、焦りはそんなに感じられず持ち前のマイペースさで乗り越えた。

ともあれ、ここまでこれたのはサポートをしてくれた友人や同期、面談等でお会いしたOBのおかげだと思う。

 

何かに成功して人の顔を思い浮かべるようになった点が就活を通じて得た最大の成長だと思います。ありがとうございました。

23歳

23歳になった.

7年前の僕なら「さすがに大学を出た頃には就職してゲットマネーしてるだろう」と思ってるんでしょう.実際そんなことない.僕はまだ学生をしてるし,なんなら君が絶対帰りたくないと思っていた地元で3年も暮らしている.時の流れとはいささか奇妙に感じる.

いかんせん20歳以降の誕生日はニュートラルに感じます.「20歳の誕生日」というのがいかに重要か身にしみて感じます.

当時何をしてたかと言うと日付をまたいだ瞬間,自転車に飛び乗り,田舎道を10km程度走り続け,缶チューハイとエロ本を買って無人の駅舎で1人,忘年会をやったのを鮮明に覚えている.くだらない,がゆえに今では決してできない青春の1ページだったに違いない.

就活の質疑応答で難しいことを聞くヤツ

就活の質疑応答で難しいことを聞くヤツは一体なんなんだろう.

僕らは「会社を知りたい」からその場にいるのにも関わらず,やれ性能だの,プロセスだの,小難しいことを知りたくてその場にいるわけではない.

僕らは「会社」の説明会でその場にいるのであって技術展覧会にいるのではない.

日経ビジネスの謎の○○シリーズに対して,書き手の意図を理解せず不勉強だのなんだのマジレスして噛み付くタイプてこういう人たちなんだろうなあ.

 

さすらい

先週末、スマートフォンを持たずに大阪泉州へ行くことがあった.情報端末を持たない旅行というのが正直何年ぶりかわからないけど、路肩でツーリングマップルを開け頭を悩ましたのはむしろ新鮮味があった.

僕は乗り物が好きなのでこういうさすらいの旅は歓迎で、これまで何度もスマホの充電が落ちたりして中国地方や関東平野をさまよってきた。いささか準備不足なのは持ち前の体力と笑顔でカバーできる.

 

 スマートフォンが普及したのはここ数年だしカーナビに至ってもここ10年くらいで普及したものでそれまでは公道を走るもの全員があーでもないこーでもないと紙地図とにらめっこしていたのである.ましてや新幹線、飛行機や高速道路が全国的に広まったのも僕らの母親の代ぐらいで別にさすらいたくない人が強制的にさすらわさせれてたと思えば気の毒な話である.さすらいたい人間だけが死ぬほど道に迷える幸せな時代になったのだと思う.